2007/05/22

韓国のお国柄

コリアニメやつあたりより:

カンニングにも、お国柄というものがある。
韓国は、確かにカンニングの多い国だ。

しかし、日本だってカンニングをする奴はいくらでもいる。
筆者が日本の大学に通っていたころ、試験が終わるたびに、不正行為が発覚し、単位を取り消されたという学生の掲示が出ていた。
1年に数人は、必ずカンニングで処罰を受ける学生がいた。

しかし、韓国のカンニングは、日本とはまたひと味違う。
留学しているときも、カンニングにまつわるさまざまな逸話を聞かされた。
韓国の恐ろしいところは、油断すると、全員がカンニングをするところである。

これは、ある韓国の有名大学での話。
前に書いたかもしれんけど。
日本語科の学生が試験を受けた。
驚いたことに、受講生全員がカンニングをしている。
当然、先生は怒った。韓国人の先生である。
ところが、学生が逆切れ。

カンニングをしなければ単位が取れない。
全員が不合格になった先生が困るでしょう。
このような感じで先生に詰め寄るのである。
こうして無事全員が通過。
恐ろしい話だ。
「お国柄」なんて悠長な話ではないが、流石にこれは極端な例。


さらに、カンニングを行う人間の層も、日本と違うところがある。
日本でカンニングというと、点数が低いもの、合格が難しいものが最後の手段として用いるという印象がある。
成績のいい人間は基本的にカンニングはしない。
ところが、韓国ではこれが少し違うのだ。

実力でも、十分合格点が取れたり、いい成績が取れる学生がカンニングをする。
いわゆる「優等生」がカンニングをするのである。(日常的にカンニングをしているから結果的に「優等生」になってるというわけではなく)
確実にいい点を取りに行くのだ。
これは、日本ではあまり見られない現象ではないかと思う。


では、何故こういうことが起きるのか。
それは、テストの点数が実生活に影響を与える、その度合いが大きいからである。
先日、TOEICでのカンニングが報じられたが、TOEICの点数は、就職や昇進に影響を与える。
その落差が激しいので、みんな必死だ。
もちろん、真面目に勉強してる人が大半だけど。


あるいは、以前日本でも話題になった大学入試での集団カンニング事件。
お客を集めるために、犯人グループが行った広告のうたい文句が印象的だった。
人生逆転。
極めてわかりやすい。
試験の結果が、人生に与える影響が大きいということ端的に示す文句である。
日本でも、入試は確かに人生の一大事だ。
それは、韓国でも同様。
ただ、学歴の影響力は、日本よりかなり大きい気がする。

ちょっとの点数の差が自分の社会的地位や財産形成に計り知れない影響を与えるのだ。
だからこその、人生逆転なんだろう。
大学などでのカンニングも同様である。
日本と違って、韓国では、大学の成績が、就職に大きく影響を与える。
しかも、日本以上に、職場による待遇の格差が大きい。
良い点を取れば、その分、見返りがばかでかいのだ。

或いは、各種の奨学金などの問題。
成績のいい学生がカンニングに走るのも、このためだ。
したがって、カンニングでいい点数を取るということに対するリターンが非常に大きい、ということになる。
或いは、悪い点数をとった時の損失が大きい、と言い換えてもいいかもしれない。
半面、それによって加えられる制裁、これはあまり強くない。
ズルした方が、圧倒的に得なのだ。

カンニングが多いというのは、順法精神の度合いとか、人間性の根本的な問題もあるんだろうけど(これも決して小さくないだろうが)、それ以外に、社会構造的な問題もあるような気がする。